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していただく/お〜いただくの誤用

「〜してもらう」の謙譲語という意味を離れて「〜していただく/お〜いただく」を使ってしまう現象。これが定着すると、本当に誰かに依頼して何かを「していただく」ことを言いたいときに困ってしまう。

例:×取扱説明書をよくお読みいただいてからお使いください
この文の書き手Aと読み手Bの他に、Bより身分の高いCを想定して、(1) BからCに説明書を代読を依頼 (2) Cが説明書を読む、(3) Bが機器を使う――という手順を踏むべきだと言っているなら正しいが、読むのも使うのもBの場合は正しくは「取扱説明書をよくお読みになってからお使いください」。常体に戻して「よく読んでから使え」と「よく読んでもらってから使え」を比べてみると分かりやすい。
むろら バイラ プラズマ スプロー ディスト ラリー シリンダー ペツォ メイドカ 検索いふ スワン マンサク アーモンド オーバー カミソール セルフレ ワイウク 氷の世界 リット ジャムパン マンナ ロファ ターニュ トウチク ゴデチア ぽっぽ 幸せ ハードカレ キューム パイソオ セクレ リファンド お猿岩 鳳仙花 スタート マテハン めんか キャンベラ タメ口 ブリーフス シオン 最新検索 アフレコ モダンジ ストマイ ライン フローベ ウィザード ちとう ディエフ

若者に多い事例 [編集]
別項若者言葉も参照されたいが、ここでは30代以上の間でも使用され、言葉の乱れとして考察の余地があるものを取り上げておく。

ぼかし表現 [編集]
「ぼかし表現」とは、あらかじめわかり切っている事柄であろうがなかろうが、はっきり言い切らないことで曖昧にしてしまうことである。従来から敢えて匿名にするため「某○○」「さる〜」としたり、「ある種」「ある意味」などは広く用いられてきたが、主として若者の言葉遣いで指摘されているのがバイト敬語に多い「〜のほう」、「私的には…」、あるいは不必要な場面での「〜とか」「〜と言うか」「〜みたいな」である。また「〜する人」といった自分を第三者に見立てた表現も然りである。もっとも今日使われている「立派な方」や「田中様」の「方」や「様」も、元々は人を直接指し示すのを避けて方角や様子のことのようにぼかした表現である。ぼかし表現を参照のこと。

感動表現の濫用 [編集]
形容詞の語幹の用法
「すごっ」、「はやっ」のような表現は形容詞の語幹用法といって、平安時代以前からある感動表現である。口語における形容詞の終止形が「〜し」から「〜い」に変化したのは鎌倉時代なので、「すごい」「はやい」よりむしろ古くからある表現である。

接客に関するもの [編集]
バイト敬語
とりわけ、ファミリーレストランやコンビニエンスストアなどで、若者のアルバイトが使っていることが多い。詳細は別項を参照されたいが、ここではパートや従業員も用いることの多い言葉をいくつか採り上げる。
いらっしゃいませこんにちは。→いらっしゃいませ。「こんにちは」は不要。
一語として成立しているかのように聞こえるため、聞く側は社交辞令的に感じてしまうことが間々ある。
1221円からお預かりします。→正: 1221円お預かりします。「から」は不要である。
なお、「預かる」自体が不適切で、「頂く」「頂戴する」が正しいとする人もいる。
バイト敬語の項参照。

レシートのお返しです。→正: レシートです。 または、 レシートでございます。
レシートは客が預けたものではないという理由である。しかしながら、「返す」には、「相手が何らかの働きかけをしてきた場合に、等しい価値を持つ働きかけをする」という意味があり、その意味でとらえれば正しいとする人もいる[要出典]。
ハンバーグセットのほうお持ちしました。→正: ハンバーグセットをお持ちしました。または、 ハンバーグセットです。「ほう」は不要。
こちらがデザートになります。→正: こちらがデザートでございます。
何かが「デザート」に変化するわけではない。
ご注文の品はひょうたんでよろしかったでしょうか。→正: よろしいでしょうか。
既に注文したような表現であると不快に感じる人がいる。1か月前に注文した商品を今渡す場合に、記憶があいまいでないか確認するために言うのなら不自然な表現ではない。たった今目の前でした注文に対してこのように確認すると、「今言ったのにもう忘れてしまったのか」という印象を与えかねない。
英語において、丁寧な依頼を意図して使われていた助動詞「would」と「could」を過去の意味と捉えて訳してしまったのが発端[要出典]。

若者流の敬語表現 [編集]
ここでは、若者に限らず中年層でも用いられる場合が多く、かつ「乱れ」として取り上げる余地のあるものを取り上げる。

誤用 [編集]
ここでは、場合によっては失礼に当たる可能性がある敬語表現について述べる。

私ってコーヒーとか好きじゃないですか。→正:私はコーヒーが好き(なの)です

下記「語尾上げ」を伴う。中高年層で用いられる場合もあるものの、ともすれば自分の意見をことさら強調して押し付けがましく思われたり、目上の者に対して使うと馴れ馴れしく思われたりすることがある。
「北海道って寒いじゃないですか」など、共通認識を確認する目的での使用は問題が無いという解釈もある。ただし、相手の知識を意識せず、あるいはあえて知らないと思われることに使うと、押し付けがましい、断定的、馬鹿にしていると受け取られかねない(例えば「ニュートリノって質量があるじゃないですか」など)。
広辞苑によれば、例文の中に出てくる接続助詞「とか」には、「コーヒーとかお茶(とか)が…」には二つ以上の事柄を並列して述べる用法の他に、近年の用法としてここで用いられているぼかし表現としての使い方もある。
学生が上級生に敬語を使うこと

学生が一学年でも上級の者に対して敬語を使うことはかつては当たり前のことであった。しかし、近年はこれに違和感を持つものや体育会系特有のものと捉える者もいる。
先輩は明日休みなんすか(っすか)?→正:休みなんですか

「っすか」は1927年生まれの金原亭馬の助の落語などにも聞かれる。

文章上の表現 [編集]

かな書き [編集]
新聞や広告、テレビなどは、できるだけ多くの人がわかりやすいことが前提であるべきで、そのために制定されたのが常用漢字であり、現代仮名遣いである。新聞などではかつては常用漢字外の文字は使わずにかな書きするのが原則だったが、近年は読みを括弧書きするなどした上で漢字表記することが増えた。これに比べて、雑誌または書籍は購読者層がある程度絞られることが多いため、以前からかな書きはあまり行われてこなかった。その一方で、例外的に誤読防止や文面を和らげるために意図的にかな書きを用いることも少なくない。

例えば、「何」は、「なに」と読むのか、それとも「なん」なのか紛らわしい場合に「なにより(何より)」「なんの(何の)」と表記
「私」を、「わたくし」と読んでほしいのか、それとも「わたし」であるのか明確にするために「わたし」と表記
「〜の方」を、指示語の「ほう」か、「〜の人」の意の「かた」なのかを明確にするためにかな書きとする
といったケースは少なくない。このほかにも、

「じつは」「じつに」「そのじつ」→実
「とくに」→「特に」
「なかでも」「〜のなか」→「中」
とする場合があるが、表記をなるべく統一することは当然であろう[要出典]。だが、編集者以外の記者が書いた原稿は、筆者のオリジナリティーを尊重する観点から原文ママとすることがある。

交ぜ書き [編集]
公文書でも、かつては常用外漢字については基本的に交ぜ書きまたはかな書きされることが多かったが、この常用漢字も別記のように限界が見えてきたので、文部科学省は2005年、「数年以内に見直しを検討する」としている。

新聞・雑誌・書籍などにおいてもこうしたケースは少なくなく、たとえば

「荒唐無稽」→×「荒唐無けい」
「誹謗中傷」→×「ひぼう中傷」
「拉致」→×「ら致」
といった具合に表記することがある。

当て字 [編集]
「当て字」とは、規範的な漢字の読みを無視して、便宜的または慣用的にまったく別の読みを当てることである。江戸時代から明治時代にかけては盛んに行われたが、近年はあまり行われない。それでも歌謡曲の歌詞では近年でも次のような表現が残る。

理由 - 「わけ」(正しくは「りゆう」)
孤独 - 「さびしさ」(同上「こどく」)
娘 - 「こ」(同上「むすめ」)
宇宙 - 「そら」(同上「うちゅう」)

送りがなの区別 [編集]
「行」は「い・く/ゆ・く」「おこな・う」の2つの訓を持つが、連用形や過去形では両者の区分が付かない(「行った:いった/おこなった」)。このため便宜的に「おこなう」の送りがなを「おこ・なう」として区別することがある。

カタカナ文の濫用 [編集]
昔から多い表記の揺れが、文章中にカタカナをやたらに多用することである。戦前の文学作品、手紙を書く時や個人経営の商店のチラシ、10~40代前半が対象の雑誌、テレビのバラエティ番組等でのテロップ、そして携帯端末やパソコンのe-メールなど、数えだしたらきりがないが、次のような表現が目に付く。

そんな無茶なことを云い出しては人迷わせだヨ。腕で無くって何で芸術が出来る。まして君なぞ既(すで)にいい腕になっているのだもの、いよいよ腕を磨(みが)くべしだネ。(昭和14年、幸田露伴『鵞鳥』)
我々は見学だヨ(昭和6年、宮本百合子『ソヴェト労働者の夏休み』)
風刺の意図を込める表現

と慰めて? 遣ったら、長江画伯イヨイヨ茫然とした淋しい顔になって眼をパチパチさせた。(昭和10年、夢野久作『呑仙士』)

連用形の連体修飾 [編集]
「×許可なく立ち入りを禁ず」の類。「許可なく」は連用形なので「立ち入り」という名詞を修飾することはできず、文法的に「禁ず」を修飾していると解釈される。正しくは「許可なき立ち入りを禁ず」のように「許可なく」を連体形にするか、「許可なく立ち入ることを禁ず」のように形式名詞を用いる必要がある。

全然〜ない [編集]
全然 - 「全然〜ない」などと後ろに否定や打ち消しを伴うのが正しいとされ、そうでない場合に「日本語の乱れ」とされる。しかし夏目漱石などによる近代初期の文学作品に否定を用いない例があり、社会における規範の方が変化した可能性が高い。「漢字の意味を考慮するなら『乱れ』どころか自己是正現象である」とする立場もある。全然の後ろに肯定を伴いたいときには、「全く」、「とても」、「完全に」、「非常に」などと言い換える方法などがある。全然の後ろに肯定で伴うと違和感を覚える者がいる。但し、「全然違う」、「全然だめ」、「全然反対」、「全然別」などは、否定的な要素が含まれていて、古くから使われているので、正しい言葉であるとしている。[5] 話し言葉では正しく、書き言葉では誤りとすべしという意見もある。

例:全然大きい
正: 全然小さくない、全く大きい、完全に大きい、明らかに小さくない
例:全然平気
正: 全然問題ない、全然構わない
新たな解釈として、本来「全然~ない」という言い方をするつもりだったのが、途中で肯定語による表現に変わってしまったために起こったというものがある。

例:全然大きい
本来は「全然小さくない」ということを伝えたいのだが、「全然」と言った後で、(前の「全然」と言ったことはとりあえず抜きにして)「小さくない」という表現よりも「大きい」という表現が簡潔で明快だということで『小さくない→大きい』の変換が頭の中で瞬時に無意識的に行われた結果、「全然大きい」となってしまった。

「全然」は、否定的表現を伴うわけではなく、「予想に反するもの」を伴うという説もある[要出典]。 例:

「コンサートは楽しかった?」「(あなたは楽しいと思っていたでしょうが)全然楽しくなかった」
「この本はつまらなかったでしょう」「(あなたはつまらないと思っていたでしょうが)全然良かった」

語尾上げ [編集]
文節の語尾をいちいち上昇させて話すこと。「今朝ねバタートースト↑食べたんだけど、まだ消化してない↑のかしらおなか空いてない↑つうかあ、…」。話す内容は肯定文なのに疑問文のように聞こえるため、聞き手にとっては逐一確認されているように感じて疲れてしまう。広い層にわたって蔓延している。

自分の話す内容に自信が持てないか、話すのと同時進行で相手から同意を得ていないと不安になるという心のありようが原因と推察される。米国の"Up talking (upspeaking) "が輸入されたものとみられ、日本にも受け入れる下地があったということである。※独自研究色濃厚。要出典-->

海外での事例 [編集]
このような「乱れ」は歴史上どの言語でも起こっていることである。また、本来生き物である言語を過剰に統制しようとすることを批判する立場も古今東西で共通している。
近年の日本の曲(いわゆるJ-POP)の中にも、「乱れた」日本語を用いた歌詞を持つものが多くある。そういった曲も台湾や香港などで流通している。それらの曲を聴いた現地の人が、それが標準的な日本語だと思ってしまうという問題も存在する。

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2009年03月30日 13:41に投稿されたエントリーのページです。

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